

TOMICA PREMIUM FERRARI TESTAROSSA
つい先日発売のトミカプレミアム・フェラーリ セットより、黒色のテスタロッサ。
トミカがフェラーリのライセンスをマイストから得るようになって早5年。一昨年の夏辺りに、次の春で未更新ならライセンスが終了するような話を聞いたが、こうして今もフェラーリのアイテムがリリースされ続けているのを見るに、ライセンスは更新されたと見て間違いないのだろうか。
元来、トミカプレミアムはその性質上、カラバリが少ない傾向にあり、特に初期はタカラトミーモール限定以外でカラバリが出る事は皆無に等しかったように思う。
その状況を変えたのがこのテスタロッサ。トミカプレミアム初のフェラーリにして、初の「販売記念仕様」こと初回限定の登場。
以後、人気の高いアイテムにはこのトミカプレミアム版の初回限定が続く。当方としては1つでも多くカラバリが出てくれた方が「好きな色の好きな車種」を手にしやすくなるので歓迎。最近はいろいろな事情があるのか、プレミアムに限らず、昔程カラバリが出ないだけに余計にそう感じるのかもしれない。
この点ではアソート売りという点を活かし、年に2~3回程カラバリが出たり、翌年にもカラバリが出るというホットウィールは強いなあと感じたり。

当方にとって、やはり一番格好良いフェラーリと言えばテスタロッサ。
人によって「一番格好良いフェラーリ」は変わると思うが、子供の頃にテスタロッサを知った時、その唯一無二のデザイン性に非常に惹かれた記憶がある。
日本車にはない優雅さ、アメリカ車とは異なる力強さ。イタリア製スポーツカーに魅了された人の多くはやはり唯一無二性に惹かれたのではないかと思う。
まあ知るきっかけになったのは当方のバイブル、「ランナバウト3」なのだが。
ランナバウト3に登場したテスタロッサのボディカラーはシルバー(白?)、赤、黒の3色。しかしながら、何故か当方の中でテスタロッサのイメージカラーは赤で刷り込まれていた。今にして思うと、あの当時からインターネット環境を手にしていた当方はモデル車両を調べる上で、テスタロッサの赤の画像を一番多く見ていたからこそ、自然と刷り込まれていたのかもしれない。神のみぞ知るところだが。

現時点でトミカプレミアムからリリースされたテスタロッサのボディカラーは4色。
通常品の赤、販売記念仕様の白、タカラトミーモール限定の黄色。これらが凡そ2018-2019年にリリースされたきりだったので、ここに来ての新色は嬉しくもある。前述の通り、トミカプレミアムは基本的にあまりカラバリを望めないシリーズ故に。
ただねえ……最近になってから急に色々とリリースするようになったのはどういう風の吹き回しなのかも気になったり。
ホンダ3台セットしかり、積載車シリーズしかり。安易にカラバリが手に入る事も、通常ラインナップから消えてしまっているアイテムを入手出来るのも非常に好感触な一方で、値段が随分強気にも感じたり。
だが、結局「欲しい色」の「欲しい車」であれば買ってしまうのがオタクの悪い所。
結局、この前のNSX同様に、こうしてランナバウト3のボディカラーが揃えられるという事で躊躇いもなく買えてしまうのだから。
しかし、テスタロッサのプレミアムは基本的に初期ロットしか購入して居なかった……というか、最初のうちに欲しいだけ買ってしまっていたので、その後追加で買うことが無かったのだけども、大分金型もくたびれて来ているのか、ややモールドがヌルっとしている印象で、更にギミックであるリトラクタブルヘッドライトの収まりが少し悪いように思う。個体差なのか、それとも金型の問題か。
定期的にリファインしている事だろうが、何度も製造しているうちにやはり金型自体にガタというのは来てしまうもの。特にトミカやホットウィールのようなアイテムとなれば尚更。
リファインされるまで謎にバンパーに凹みがあったホットウィールのR33も懐かしい。
と言った所で〆。以下、ちょっとした雑記。

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ミニカーブログではなく、今は更新を停止したゲームブログに始まり、バイクや車趣味を更新していた某ブログを閲覧していて、凡そ15年近く前と今のインターネットの感覚が違うのを改めて実感したり。
当方自身、何度かブログを乗り換え、作り直しているような状況なので「10年以上も継続して」というブログは完全不定期更新のゲームブログ(ほぼ内輪向け)以外に無いのだけども、なんだかんだで当ブログも5年目が見えてきている状況。案外、人というのは歳をすぐ取るものなのだなあと……。
そして。自分自身が凡そ10年前そうだったからこそ言えるのは、割りとブログ記事を「SNSの投稿」感覚で更新していたなあと。長文の記事ではなく、短文の、それも有象無象のような記事をいくつも。
SNSがちょうど出始めたような時代のブログ記事なんかに目を通してみると実はそういった今でならツイッターで呟くような有象無象を観測出来て、ちょっとばかりその感覚が懐かしくもあり。それを時々やってる当方が言えた事ではないんだけども。
散漫した文章を書いているけれども、結局何が言いたいかと言えば、「そういうのが懐かしい」という一点に尽きる。あの時はあの時なりのやり方が、楽しみ方があったんだな、と。今の方が恵まれているのは事実だと思う一方、あの頃に戻りたいな、もう一度感じたいな、と思う瞬間もある。
子供の頃にわからなかった感覚や子供の頃には想像も出来なかったような「今」を生きていて、人の一生とはなにかと考えてしまったり。まあ、考えた所で答えなど出ないのだから気楽に、そこまで深くは考えすぎずに生きるのが一番だろう。
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