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GRIZZLY GARAGE

自己満足の、自己把握用のデータベース。覚え書き。

フォードのイメージ

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HOTWHEELS FORD RANGER RAPTOR 2019

気付けば9月も終わり、そろそろ10月。目ぼしいイベント等もなく、さっさと9月終わらねえかなあなんて思っていたらあっという間に終わってしまった。と言いつつ、適度にミニカー弄ったり、適度にアニメを見たりと全く充実して居なかったわけではないのだが。
来月は今月頭に加入したサークルの活動に参加を検討して居たり、半ば過ぎくらいに大阪に小旅行しようと計画を進めている最中。ニューヨークの計画も勿論念頭に入れつつ、その前に一度気晴らしを。

今回のエントリーはまたしてもカスタム品のフォード・レンジャー ラプター2019のホットウィール。ホイールはマッチボックスのものに換装。
当初、この車が製品化されると聞いて、当方、フォード・F150 ラプター2015と同じ青色のボディを纏って登場するとばかり思っていた。
しかし蓋を開けてみたらどうだろう? なんと黄色のボディかつ、よくわからないチェッカー模様のグラフィックではないか。ライト類にはもちろんタンポは無し……。当然、元々日本ではピックアップが不人気で売り場に残る傾向があるが、見事に売り場にはだだ余りだった(後に実車だから、という理由だけで買っていった人が居たのか近場からは消えていたが、探せばまだあるのでは……)。

そんな状況を見かねつつ、当方は余分に増車し、そして兼ねてからリペイントを決め込み着手……し完成させたのがおおよそ1か月前。うーん。そう言えば、2ndカラーは水色/黄色ウィンドウらしいが、どうしてまた……来年こそもう少しまともなカラーリングで出て欲しいものだ。

実車のフォード・レンジャーを少しだけ。一時期北米市場から消えて東南アジア等、そっち方面中心に展開していたミドルサイズ程のピックアップトラックで、フルサイズが多いアメリカのトラック市場では小柄な部類。多分日本では十分デカいが、車格的には日本でも販売が復活したハイラックスと同程度ではないかと思う。

今になって、アメリカでは小型化ブームが再燃しているのか、最近は小型なピックアップが出だしたような気がする。シボレーからはコロラドの名前で同クラスのピックアップが存在している(そちらはマッチボックスでオフロードカスタムなのが登場済み)。

とは言え、マテル。いくらフルサイズと大きさに差を付ける為と言えど、ちょっと小柄過ぎやしないか……コロラドもこのレンジャーも3インチサイズとは言える気がするのだが、トラックとしてみると随分小柄でかなりみすぼらしく見えてしまう。他の車と並べてもやはり小ささが際立つ。うーん、せめてもう二回りくらい大きくするべきだったのでは……。


以下、最近お決まりのミニカーに関係ない話。








攻殻機動隊というアニメをご存じだろうか。日本のサイバーパンクかつ、SFを代表するアニメの1つ。今になって見直すと、随分「現代を予想していた」んだなあ、と。そして哲学的でもある。

作品の主人公である草薙素子。彼女は全身義体のサイボーグであり、アニメシリーズにおいても「ゴースト」とは何か、何が人を人と断定するのか……と、葛藤している描写が見受けられる。

実際、この作品の問いかけには考えさせられることも多い。人は「記憶」によってアイデンティティを形成していると考えるのが自然だが、そのアイデンティティを形成する記憶とは恐ろしく不正確な物であることが殆ど……。
攻殻機動隊の世界においては、電脳化、おそらく現代で言えば6G、7Gの脳にチップを埋め込むようなそれが一般化しているが、それにより「偽りの記憶」を植え付ける事さえ可能となって居る以上、記憶がゴースト(魂)を形成するとは限らないのだ。

SNSのない時代の作品ながら、現代のSNS風刺とも受け取れるような、そんな話も盛り込まれている。

情報の並列化(≒同じ情報を大多数の人が同時に見ることによって人々が惑わされ、同じものを模倣し、個を喪失する。ここ数年やたら流行の移り変わりが早いが、それがまさしくそうだと言えるだろう)の果て。
ただでさえ曖昧となる「個」を取り戻す一つの可能性をこの作品ではタチコマという自立思考型戦車のAIを通して主人公の草薙素子が「好奇心」が個を取り戻す一つの可能性だと結論付けた。

虚無主義が台頭し、なにかも虚しいとさえ思えてしまう当方。しかし自分を鼓舞し、そして自分を突き動かすのは「好奇心」だったと、改めて認識した次第……。
ニューヨークに行きたいのは昔からの夢であると同時に、自分の知らない世界で人々がどういう文化を形成し、そして営み、反映させているのかを「知りたい」という「探究心」から来ている。
今や、インターネットで簡単に情報が手に入ると言えど、やはり当方は自分の目で、身体で、五感で感じたい、知りたいと思ってしまう。それこそが当方が考えうる、最も明確に「わかる」方法だから。

この広い宇宙で、人間が知りえるものはおそらく全体の1割にも満たないだろう。地球にあるものでさえ、人類には知らない物が多いのだ。そして人間は理解の及ばないものに恐怖する。だが、同時にその恐怖に打ち勝つ方法がある。それは「好奇心」。知らないものを「知りたい」と思う感情こそが、人類が恐怖に打ち勝つ方法なのではないかと考える。

……うーん、非常に「中二」臭い記事になってしまったなあ。あまりまとまらないうちはこういうことは語るべきではなのかも。


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コメント

偽りの記憶

その昔のこと。SNSはもちろんのこと、インターネットですら普及してなかった時代に、「情報」と「記憶」をテーマにした舞台劇を演ったことがあります。
調べてみたところ、攻殻機動隊の原作マンガがスタートした1、2年前ですね。

とあるカタストロフ後に、人々が記憶を喪失し地下で生活しているという設定でした。人々はカフェに集まって、地上が無事だった頃のサブカルなどの情報を語り合うことで慰みあっている。実は嘘まみれの内容だけども、そういう情報を披露できる者がカフェの常連の間ではもてはやされている。

ある日、「記憶売り」と称する流れ者がカフェにやって来る。
記憶売りは地上に残されたコンピューターにアクセスできる端末を持っていて、失われたサブカルなどの正確な情報、そしてカフェの常連たちの地上でのプロフィールにアクセスできる。常連たちは記憶売りからこぞって情報を買い、ほとんどの者は地上での自分を知り落胆し、嘘の情報を披露していた者は軽蔑される。

よりどころを失った彼らに、記憶売りは、彼らの記憶に関わるデータを提供する。コンピューターに保存された本人の日記や親しい人の残したメッセージ(今で言うSNSの記録ですね)。記憶を糧にカフェの常連たちは立ち直っていく。

劇中では、どうしてもコンピューターに記録が残ってない人を慰めるために、記憶売りは偽の記録=記憶を与えています。そうした記憶売りの欺瞞を見抜いている登場人物(なぜか地上の記憶を失っていない)もいるけども、記憶売りを咎めようとしない……。

ん~、インターネットさえ知られていなかった時代の作品とは思えませんね(自画自賛)。今でこそ通用する内容かもしれません。

という感じで、「偽りの記憶」に対しては、当方は結構肯定的です。
長文失礼しました。






  • 2019/10/05(土) 14:35:33 |
  • URL |
  • ワイキキ@第三世界 #aenvJJGQ
  • [ 編集 ]

Re: 偽りの記憶

>ワイキキさん

実に興味深い舞台劇ですね!
当方、舞台劇は4、5年ほど前に一度友人2人と友人の友人が出ているという舞台を見に行ったきり、記憶も朧げですが、その劇も若者的視点から描かれて居て実に面白く感じた物でした。ヘタな映画やアニメよりもこういった舞台の方が面白いテーマをやっている事が多いのかな、なんて。

当方の見た舞台の話はともかくとして、インターネット普及前に「情報」と「記憶」をテーマにした劇、現代ではSNSもインターネットも当たり前ですが、その当時では聞きなれない言葉……と考えると、その当時は結構難しい話と受け取られていたのではないかと。逆に言えば「わかる人にはとても面白い」のかなとも思うわけです。
それだけにワイキキさんの言う通り、現代だとかなり通用するのではないかと思います。もし、その作品を見る機会があれば是非とも見てみたいですね。

人が幸せを感じられる・幸せで居られる条件が「記憶」であるのだとしたら、そこに真実性は必要ないとも考えられますよね。
嘘を付き通し続けることによって得られる安寧や幸せが現に存在している事を考えれば、「偽りの記憶」もまた否定するほどの物でもないのでは、と……。似非記憶の話は攻殻機動隊でも出てきますが、似非記憶であったとしても、それがその人物の人格を形成しているのだとしたら、偽物であっても否定する事は出来ないのでは、とも思えたり……。

時代の流れか、それとも人間と言う生き物が曖昧な故か、やはり真実よりも大事なものが多いように思えてなりません。尤も、真実として公の場所に晒さなくてはならないものもある、とも思うわけですが(笑)

  • 2019/10/06(日) 00:41:21 |
  • URL |
  • グリズリー #-
  • [ 編集 ]

ご指摘の通り、当時は難しかったろうと思います。観るほうにも、演る人間にも、感覚としては伝わりきれなかったんだろうなと。
(半分反省)

「偽りの記憶」で問題となるのは、それで人を支配することですね。
人の支えとなるのだったら、ひょっとしたら真実性は必要ないかもしれない。
だけども、人の思想や価値観、行動をゆがめるために「偽りの記憶」を注入するのはどうか。そこです。

攻殻機動隊は今度映画を観るなり、原作を読んでみるなりしてみようと思うのですが、偽りの記憶との葛藤を乗り越えて、<「好奇心」が個を取り戻す一つの可能性>に帰結するという感覚はよくわかります。
うん、当方に言わせれば、もろにバブル経済下の感覚です。

グリズリーさんのおっしゃる「探求心」は、おそらく、刹那的な状況を肯定せんがための「好奇心」とは違うと思います。

  • 2019/10/06(日) 20:38:27 |
  • URL |
  • ワイキキ@第三世界 #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

>ワイキキさん

ますます「今だったら」と思わずにはいられないのではないかと思います。

>偽りの記憶
その通りですね。人の思想・価値感を歪めるための偽りの記憶は問題と当方も考えます。

現代においても、「洗脳教育」という謂われ方で度々例に上がることが多いですね。
例えばお隣、中国。共産主義と資本主義の良し悪しはおいておくとして、香港問題を取り巻く中国本土の人と香港を含む資本主義的考え方の人は対極にありますが、「教育」が人格与えた影響は計り知れないと思います。だからこそ教育が大事というのは真実ではないかと。

攻殻機動隊、いろんなバージョンの作品があり、それぞれに良さがありますが、哲学的題材、風刺、アクション、パンク。それらを総合的に判断すると一番オススメなのはやはりアニメ「Stand Alone Complex」シリーズですね。
「ARISE」はアクション・パンク寄りでこれはこれで良いなあと思いますが、「押井守版」は哲学的題材の要素が強めで当方はあまり入り込めなかったです(苦笑)

原作は10年以上前、まだ良くわからない頃に少し読んだ程度なのでファンとしてはあるまじきものかもしれません(苦笑)

バブルの感覚、バブル崩壊後、所謂「失われた~~年」に生まれているので全くその感覚がどういうものなのか、当方にはまったく想像できないのですが、当方の母親含めて、当時を生きてきた人達からすると、その「バブルの感覚」は確かに存在したようで……。
昨今、平野ノラがブレイクした辺りが区切りだと思いますが、バブルを題材にした作品が急に増えた時期がありましたが、当時を知る人からするとどこか「違う」そうで。或いは当方がわかる車と言う観点からも結構バブルの時期がズレて居たり。思えば、80年代と思われがちなバブルは厳密には80年代の本当の終わりの終わりから90年代の初頭の数年程度だそうですね。それ故なのかはわかりませんが、当方が知る限りでも文化・技術面で現実と結構なズレがあるようです。そう考えるとやはり歴史も記憶も大分朧げと言わざるを得ないというか……。

探究心、当方の考える探究心は好奇心に由来するものと考えてます。もっとも、その好奇心は実に危険性と責任を孕んでいるとも考えています。
例えば、とあるコミュニティに好奇心から興味を持って足を踏み入れたとして、そのコミュニティが思っていたのと違った、あるいは理解の及ばないものであった時、そっと引き下がるべきは踏み入れた側であり、踏み入れた者がこうじゃない、あーではないと騒ぐべきではないと思います。
……と、ワイキキさんのおっしゃる「刹那的状況を肯定する為の好奇心」とはやはり違いますね。というかそもそもで当方のこの話自体が論点と違うような気がしてきます。

  • 2019/10/06(日) 23:44:32 |
  • URL |
  • グリズリー #-
  • [ 編集 ]

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