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GRIZZLY GARAGE

自己満足の、自己把握用のデータベース。覚え書き。

2020東京オリンピックと子供の話

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TOMICA TOYOTA JPN TAXI TOKYO 2020 OLYMPIC PARALYMPIC

つい先日発売された「2020東京オリンピック・パラリンピック」カラーのJPNタクシーのトミカ。

先月もJPNタクシーのトミカをピックアップしたが、やはりJPNタクシーは非常に好きな車種なだけに、どうしても記事にしたく。
価格はトミカ2台分より少し安く、トミカプレミアムとほぼ同じくらいの価格だが、その分だけタンポでの表現も増えている。
実車に設定されていたオリンピック・パラリンピック仕様の後部ドアのロゴは勿論、リアハッチのトヨタのHVマークを示すバッジとJPN TAXIのロゴ、リアランプのウィンカー/バックライトの印刷、ドアノブのシルバーの表現、行燈のブルーの縁取り。この辺か。

それだけでどうしてこの価格、と思う人も多いのだろう。
だが、パッケージは凝っているし、オリンピック委員会公認アイテムともなれば、必然的にロイヤリティも発生して割高になってしまうの当然だ。
尤も、当方はとにかくタクシー好きで、JPNタクシーも大好きなのであまり値段は気にしないのだが。

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果たして、いつまで販売されるのか、またどういう扱いかもよくわからないアイテムだが、主要な販売店では併売されているので特定の場所でしか買えないアイテムと言うわけではなさそうだ。

また、アイテムの属性を考えるに、おそらく東京オリンピック・パラリンピック開催期間までは販売が続くのでは。
おそらく外国人観光客等に向けて売り込むことも想定されているだろう。
都内を走り回るJPNタクシーの多くは、この2020東京オリンピックパラリンピック仕様のカラーリングが中心。最近は販売が終わったのもあってか、黒や深藍をベースにタクシー広告を纏った車体も増えてきた印象だ。それでも自前で2020東京オリパラのロゴマークのデカールをわざわざ貼っている個体も多数目にする。

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さて。JPNタクシーのトミカを「7月に」再び手にして思い出したことがある。
それはNo51のトヨタ・クラウンコンフォート タクシーが出たときの事。
12年前の7月の第三土曜日。その時に新車として出たクラコンタクシーのトミカ。奇しくも、12年前の7月も第三土曜日は21日だった。

当時、小学生、それも低学年だった自分は販売日に母親と共に近くのおもちゃ屋さんに買いに行った記憶がある。
そしてその新車のトミカを握りしめて、翌日の家族旅行へと出掛けた。普段大量にミニカーを持っていく自分が、唯一、クラコンタクシーのトミカだけを持って行ったのだ。

後部左ドア開閉。タクシーとしては重要なギミックだが、残念ながらJPNタクシーにはない。だからクラウンコンフォートみたいな遊び方は出来ない。

だが、それは抜きにして、この時期に「黒色の」「トヨタの」「タクシー」の「トミカ」を手にすると、なんだか懐かしく感じると共に大きくなったんだなと。

あれからもう10年以上も経って、「大人」に分類されるようになって、あの頃とは身の回りも、そして自分の環境でさえ、大きく異なる。時代はいつも最先端を求めて、変化を求めるし、自分も変化を求めるが、その一方で思う事もある。

”変わらない良さ”があるんじゃないかと。

アメリカのタクシーからクラウンヴィクトリアが消えたと聞いた時も思ったが、コンフォート兄弟からJPNタクシーに置き換えが進んでいる今、やはり”変化”を求める一方、人間は”変化”を嫌うんじゃないか、と思う。
インターネットの普及で世間の空気が変わった時にも、”時代の変化”を感じたが、それから更に時代が進んで、自分の事、自分の身の回りの事、そして世間は目まぐるしく移り変わる。以前聞いた話。変化によって生じた当たり前と再びもたらされる変化は何度も繰り返され、その速度はその都度早くなっていくと。

着地点のない話なのであまり長々と書いても結論は出ないだろう。というか、出せるわけがない。人は単純なようで複雑で、複雑なようで単純。物事もすべては単純なようで複雑、でも複雑に思えても実は単純だったりするのと同じで、すべては捉え方次第。変化を悪と捉えるか、変化を良いものと捉えるか。

すべての物事に0:100は無いと考えてる。だって、変化によって、良い事ももたらされれば、悪い事ももたらされるのが世の常だから。アメリカの銃社会を例にするなら、銃によって「悪い人から自分の身を守る事が容易になった」一方で、「悪い人が銃を乱射し、普通の人が多数亡くなる事件が起こるようになった」。未だに銃規制に賛成と反対が割れるのはそういう所にあるのではないか。

……と、これ以上語ってもどんどんミニカーと関係のない話になるので切り上げるとして。

JPNタクシーに対する意見を聞いてみたいな、と思う。当方は非常に好意的に捉えているが、否定的な意見もあるのも認知している。だからこそ、いろんな意見を聞いてみたい。「あなたは新型のJPNタクシーをどう思う?」

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軽量化の話

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MATCHBOX CATERHAM R500 SUPERLIGHT

7/11。セブンイレブンの日。セブンイレブンと言えば7payのトラブルや沖縄に初出店等、ここ最近話題に事欠かない。どうせならセブンイレブンのトミカを……とも思ったのだが、生憎持っていないので、代わりに何か「7」にちなんだものをと思って居た所で、ケータハム・セブンを思い出して、今回のエントリー。

セブンイレブン、幼少期の頃家から最も近いコンビニがセブンイレブンだったなあと。よくお弁当やらおにぎりやら食べていた。慣れ親しんだコンビニと言えばセブンイレブンかもしれない。まあそんな話は置いておこう。

我らがマッチボックス、と呼びたくなるくらいマッチボックスで製品化される車種はやたらマニアックな、言ってしまえば変態的な車種が多い。以前紹介したボルボ・P1800Sもなかなか変態じみたチョイスだと思っていたが、まさかケータハムまで製品化していたとは。良い意味で裏切られたラインナップだった。

昔から、自動車を速く走らせるためにはいろんな方法が取られて来ていたが、理論的には軽いボディにハイパワーのエンジンがシンプルに「自動車を速く走らせる方法」だろう(空気抵抗とか細かい話な抜きにして)。

それを実行したのがイギリスメーカーのロータス、TVR、そしてロータスに影響を受けて設立されたケータハム。
「ライトウェイトスポーツカー」とあるが、この言葉はこれら3社の為にあるような言葉と言えるだろう。

ロータスもTVRも大分変態性の高い車種が多い(し、マッチボックスでどれも製品化されてることからマッチボックスの変態性がお分かり頂けると思う)が、その中でも一番変態じみてるのはやはりケータハムじゃないかと思う。ロータスもTVRも1トンを切って~~という所をケータハムは500-600kg代を実現している。もはや大きくなったゴーカートのような独特のスタイル。それかデューンバギー的というか。

耐久性と整備性の高い車を作る日本車、堅実ながらもしっかりしたモノづくりをするドイツ車、V8エンジンやら大きいボディやら、アメリカの為のアメリカの自動車がアメ車だとしたら、変態じみた車を作るのがイギリス車ではないだろうか(もちろん高級車のイメージもあるのだが)。

実にマイナーで知る人ぞ知る、というマシンなのだが、実は地元にこれを乗ってらっしゃる方が居る。オーナーがどんな人なのかはわからないが、何度か走っているのを目撃した。

そんな中で一番印象的だったのは同じく地元でAE86カローラレビンを弄って乗り回している方が故障かエンストか、理由は不明だが自走不可能となったケータハムをけん引していた事。後にも先にもなかなか見られる光景ではないだろう。流石に写真は控えたが、大分印象に残っている。

さて、今回から今話題のセリアのブリキのコンテナ缶を後ろに置いて撮影してみた。後ろを写さないようにする必要がなくなるのは大分ありがたいと言うか。ここだけの話、後ろはごちゃごちゃと物が置かれて居てとてもじゃないが”お見せできない感じ”なのだ。
やはりミニカーと言えど、元は車をおもちゃとしてサイズを縮めているものなので、どうせ撮るのであればリアリティに、かつカッコ良く撮りたいもの。そういう意味でこのコンテナ缶は結構重宝しそうな感じだ。

以下、ミニカーとはそこまで関係のない余談。

お仲間の一人が一時的に収集を辞められるとのことで。
もちろん、今までのような頻度で買わないと言うだけで欲しい物があれば買うらしいのだが、彼の気持ちというか、引退する理由には当方にも頷ける物がある。

現状、あらかた欲しいものは揃えてしまった。それ故に、今は新製品が出るのをただ待つだけで、新製品が出たら義務的に買い続けるだけ。なんて繰り返していると、あっという間に置き場所も無くなり――。ほぼ同じ状況なのだ。

置き場所は無いのにミニカーは際限なく増えて行くので、気付けばどんどん家の中のスペースを開封済み・未開封のミニカーが浸食していく。今は整理したが、整理前は布団の上にもミニカーの入ったケースと箱が転がってる状態。最近またそれに近づきつつある。

よく3人でつるんでミニカーショップを巡ったり、某氏の家でコレクションを持ち寄って、大量に広げたり、アメリカの街並みを再現しようと”ありそうなミニカー”を置いて並べたりしているのだが、このメンバー3人で大体欲しいミニカーは揃えてしまった感じがする。

もちろん、我々の知らないところに我々にとって魅力的な車種がたくさん眠っていることだろうが、ある程度、認知できる範囲でここまで来てしまうと、目標を失ってしまったというか、一周回って熱が冷めてしまう部分があると言うか。

それでも自分は精神安定剤のようにミニカーを買い漁って居るが、時々無限ループというか、先にも書いた通り、新製品を義務的に買い漁る様な状態が続いて居る。それが続くとやはり虚無感が出てしまうと言うか。ただでさえ、若年層にとっては明るいニュースとは思えないニュースが世間を席巻する中で、虚無主義というのはやはり台頭してきているように感じる。
母はそれは若さ故だと言うが、果たして。もしこのブログが10年、20年と続いたとして、その頃の自分は今とはやはり価値感も異なるのだろうか。5年前、10年前とは違うように。まあ、そういう意味も込めて、細々と末永く続けて行きたいなと。自分の過去を振り返る意味で、日記と言うのは大事だ。